映画の歴史。

  映画は、その昔、活動写真と呼ばれていた通り、人が生み出した動く映像
装置だった。
 最初に作った人はトーマス・エジソン。
Kinetophoneと呼ばれた暗室の箱の中にフィルムが入っていて、その中を覗
く形で観る事が出来た。 1895年の事である。

 映写機の原型になったのは、それから約20年程経った1914年頃、Kineto
scopeと呼ばれた機械が開発される。
 もちろん当時は音と同期が取れた物では無く、蓄音機による音楽や音声と
一緒に楽しんでいた。

| 音響職人 | 映画館の歴史(音響編) | 16:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
音の同期。
音と映像が同期したのは、そこから更に10数年後になる。


 
WarnerBrosの「DonJuan」という作品でVitaphoneというシステムが採用
された。
StollerとPfanstiehlというおっちゃん達が開発した。
トーキー映画の始まりである。(トーキーなんて言っても昔の人でも分からない
と思うが、活動写真の弁士すなわち活弁士がステージや舞台袖に立ち、写真に
合わせてストーリーをアナウンスするという形で当時は上映されていた。
映像と音が同期して製作出来るというのは、夢のような話だったんだと思う。私も
知らないが・・・)
トーキー映画初というと、「JazzSinger」なのでは?!と言われるが、それには、
このシステムが使い物にならなかった事が挙げられる。

理由は次回に・・・。

余談をもう一つ、チャールズ・チャップリンはパントマイムの無声映画にこだわった
が、実はトーキー嫌いだった訳では無く、活弁士の仕事が無くなるのを憂いたとも
伝えられている。
 完璧主義のチャップリンはトーキー部分に数多くの音楽を入れて発表した。
当時はJBLの前身Lansingというスピーカが音楽再生には向いていると風潮して
回ったとも伝えられている。
| 音響職人 | 映画館の歴史(音響編) | 16:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
Vitaphone。

 



何故このVitaphoneというシステムが使い物にならなかったかだが、同期する
信号がフィルムに入っていて、なんと裏ではレコード盤が回っていた。
 当時はダイヤモンド針(と言っても分からない人が多いと思うが)というような
高性能な針があった訳ではない為、レコード自体の耐久性能が著しく低かった。
 システムが高価で複雑。 尚且つトラブルが多いと来れば、普及するハズが
無かった。 しかしながら、レコード盤の改善を進めて、音楽を題材にした映画
「JazzSinger」が、このシステムで上映され一躍トーキーの世界が広がる。

 ただ、このVitaphoneという考え方は現在のDTSシステムと全く同じで昔の人
を侮ってはならない。

| 音響職人 | 映画館の歴史(音響編) | 16:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
映画館のスピーカ1。

 システムの話から、いきなり私の得意分野であるスピーカの話へ・・・。

チャップリンの話でも少し触れたが、映画館に入っているスピーカも年々技術
進歩する事で変わって来ている。

今でこそシネコンやらの登場で、音響システムに多少お金を掛けてい る映画
館が増えて来たが、最近までセンタースピーカ1本だけの劇場も少なくは無か
った。
 そう! 昔の映画館は活弁士の声が一応劇場全体で聞こえていれば良かっ
たからである。
 なので、劇場の音響用スピーカはセンター1本から始まる。
上の写真がフルレンジのホーン(スピーカのラッパ)である。
低い音からある程度高音までカバーする為に、まさしく大きい。

 トーキー出現に伴い、音楽再生をする為にセンター1本から、左右のスピーカ
がプラスされフロントが3chとなる。(今でも特殊なフォーマット以外は、この3ch
は変わらない)

 そこからはドルビー研究所さまの恩恵に伴い、サラウンドやバックchが追加さ
れ現在に至っている。

 ドルビー研究所さまが、どう関わっているのか?というと、簡単には2トラックの
音声チャンネルに、いかに多くの独立したチャンネルを作り出す事が出来るのか
?を研究されているのである。
 すなわち、記録されているのは2チャンネルなのに、ドルビーを通すと6chの出
力が取り出せるのである。 これがドルビープロロジックでありドルビーデジタル
になると、独立したchが記録再生されている事になるので、似て非なる物である。
 ただ、この技術がドルビー研究所さんの特許であり、映画の音声に於ける強い
影響力を示し続けている理由である。(録音から関わらないと成立しない技術で
ある為)

| 音響職人 | 映画館の歴史(音響編) | 16:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
映画館のスピーカ2。

 



 この15Aという「ROXY」ホーンには、WesternElectricの555というコンプレ
ッションドライバー(早い話スピーカの音を出す部分)が搭載されていた。
 アメリカでは当時最大級な電機メーカーが、WesternElectric。

 このブランド名が出て来たので余談を一つ。

 当時、Lansingという名前でスピーカを作っていたJBLさん。
James Bullough Lansingが正しい名前なんですが、本名James Martiniさ
んです。(James以外は何も合ってないです 笑)
 Bulloughは幼少期、お世話になった叔父様のミドルネームを付けて、最後
のLansingは、どこかの都市の名前で、響きが気に入って自分の名前にした
のでは?と伝えられています。

 このJBLさんの評判を聞いたWesternElectric社が、当時メンテナンスを専
門に請け負っていた同系会社、ALL Technical Serviceという会社に引き抜き
オールテクニカルを略してアルテック、それにランシングさんの名前を付けて、
あの有名な「ALTEC-LANSING」となります。 (古い話なので、解釈は人それ
ぞれに違います。間違っていたらゴメンナサイ)

 アルテックとJBLは親戚だ!?とか言う人もいますが、実は同一人物なの
です。

| 音響職人 | 映画館の歴史(音響編) | 16:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
1/3 >>
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< August 2018 >>

このページの先頭へ